何故、何故ピストなのか?
ロードバイクというかスポーツバイクに乗り始めた頃ですが、自転車つーのはペダリングが大事だぞと見聞きしておりました。みなさんもそうですよね?
で、ペダリングは如何にすれば上手くなるのか?ってことを調べるとどうしてもピストバイクになってくるんですね。ギアを上手く使いこなすのがある意味ロードバイクのノリ方のコツと言えるかもしれませんが、ギアのないピストは必然的にペダリングが上手くならなければ走らない/走れない。だったらピストバイクに乗るしか無いだろう…という思いは割と以前からありました。
あんど
cbn blogのシングルスピードの記事を読んでいたら俄然欲しくなってきたんですよ、ピストバイクが。
それまでは例の巷に溢れている?シングルというか固定ギア=ピストに対するネガティブなイメージ(https://blog.tbackbroz.com/posts/4832989/ などなど)がちょっと頭の中にやはり有りました。なので、ペダリングを向上させるにはピストというのは分かっていてもあと一歩のめり込めない感じでした。
しかし、先のcbn blogの記事の中のこの文章を読んだ時に稲妻が私の中に突き刺さったのです。(太字は私がかってにしました。)
まず実感できるのは、余分なものを捨て去って身軽になった自由さです(往々にして不便を伴うものですが)。或いは潔さを心情とするストイックな求道的精神の清さかもしれません(たいていは誘惑に抗らう精神が試されます)。
そしてここが肝心!人類の果なき欲望の積み重ねによって拡張し続けた機能をあえて削り落とした道具としての美しさです。
つまりは「より遠くへ、より速く」という自転車本来の目的のために進化した機能を自ら制限することでバイクと人の一体感に浸るというマニアックな行為なのです。
テレマークスキーやボルダリングまたはカヌーなどの何処かアンチで、しかも古いようで何か新しいシンプルなアウトドアスポーツに通じるところがあります。
まあごちゃごちゃ書きましたが、お米に例えて言うならば、ロードバイクやMTBがピラフや海鮮丼とするとシングルスピードバイクは塩おにぎりです。ちなみに塩おにぎり大好きです!
昔からうどんなら素うどん、パスタならペペロンチーノ、ウイスキーならシングルモルトが好きな自分にとって、塩おにぎりの例えもですが
余分なものを捨て去って身軽になった自由さです
という一文が特にきました。
その4に続きます
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